子どもの子どもって?
出産をして子どもを授かり、自分の分身ともいえる愛しい我が子を何十年も育て、自立させ社会に送り、その子は愛すべき伴侶に出会い、また新しい命を宿す…
あらためて考えると「孫」というものに出会えることはどれだけ奇跡の連続なのか、実に感慨深いものがあります。
しかし「孫は可愛い」と思うかどうかは人それぞれ。
自分の生活を大切にしたい人だっているし、まだまだ現役世代で仕事が忙しく余裕がないじいじ、ばあばだってたくさんいます。そもそも孫との距離が離れていて、なかなか会えないから実感できない方もいますよね。
しかし、わたしの周囲では、孫の可愛さにメロメロのじいじ、ばあばたちが圧倒的に多いのも事実です。
友人は孫会いたさに、お土産を抱えて東京から沖縄まで飛行機で飛んでいきました。
ある方は一生懸命働いて得たお給料で毎月お孫さんの服を買って贈るという事を楽しみにしています。
プラレール好きなお孫さんがいる方は、組み立てたプラレールを片付けるのが忍びないと、数年間部屋の片隅で生活されていました。
それほど愛しくてたまらなくなる孫という存在。
なぜそこまでメロメロになってしまうのか、すこし分析してみたいと思います
メロメロになる理由 我が子の幼い時を思い出す
当然ながら遺伝子をうけついでいる孫は我が子の幼い時と重なります。
懐かしさと同時に、当時は若くて気づけなかったこと、余裕がなくてしてあげられなかったことをせめて孫にはやってあげたいと思うのです。
また長いこと大人しかいなかった我が家に、赤ちゃんを迎え入れるってとても新鮮で刺激的です。
哺乳瓶、おむつ、ベビーウェア…ここ何十年縁遠かった用品が身近になります。
帰ったあとに忘れていった小さな小さな服を干しているだけでジーンと心が満たされます。
昔々の遠い記憶を呼び覚まし、孫の誕生とこどもの成長をかみしめるのです。
メロメロになる理由 歳を重ねさまざまな経験をして感情が豊かになっている
50年60年と生きてきてさまざまな経験を積んでいるじいじ、ばあばはたくさんの感情がつまっています。
孫が保育園で発表したり、運動会で走っているだけで涙ぐむおじいちゃん、おばあちゃんをみて
「ええ~っそこまで?」
と思うパパママ世代の方もいると思います。
それは人生経験が多い分、共感できる感動がいっぱいで、ちょっとしたことであふれてしまうからなのです。
“ついこの前生まれてふにゃふにゃしてたのに、もう目の前で踊ったり走ったり…なんて感動的!孫の活躍する姿がこの目でみられるなんてわたしはなんて幸せなんだ!”
となるわけです。
脳科学的には前頭葉の働きの低下のせいだとか言われることもあるみたいですが、やっぱり孫が頑張っている姿をみて感動できる歳のとり方って素敵だと思います。
メロメロになる理由 幼子の瞳の美しさに惹かれる
私が出産したとき、父が生まれたばかりの孫の手を握りながら
「まだ何にもしらない…真っ白できれいなんだよな」
とつぶやいたことを思い出しました。
生まれたばかりの瞳の美しさはどんな宝石にも勝ります。
こんなに尊いものを愛おしく守りたいと思うのはごくごく自然なことですよね。
これには説明も要りませんね。
メロメロになる理由 しつける責任がないから
「しつける責任がない切なさ」
「子育ての主役ではない儚さ」
を感じるおじいちゃん、おばあちゃんも多いのではないでしょうか。
「責任がないから、気楽だから孫は可愛いんだ」という意見もあるとおもいますが、その気持ちの裏には、少し寂しさもあると思います。
しつけは基本両親の役目です。
それに添った協力はするべきですが、最終的に責任を負うのは保護者である父母です。
ついつい経験上、教育方針にまで口を出してしまう気持ちもわかります。
しかし、私たちの教育は最新のものではないので、ほどよい距離感を保ちながら見守るべきです。
この言いたいけど言えない、手を出したいけど出せない歯がゆさが、ますます孫への想いを増幅させるのかもしれません。
ママパパの子育てを応援しながら、孫との生活を楽しみ、ほどほどに甘やかし、可愛がり、孫たちの心のオアシスでいられたらきっと一番ベストでみんなが幸せですよね。
孫は可愛いけれど愛情に溺れることなく、自分自身の人生も楽しみましょう。